2010年02月08日

脳の活性化?昨日何をやったか思い出すこと?!


「新春のつどい」で堀内さんと義村市議と

 味口としゆき(衆院兵庫1区の候補者だった人)さんのブログをチェックしたら、「昨日のことを思い出しながらブログを書くのは脳の活性化によいとTVで見た」とあり、なるほど・・・!!

 では、私は一昨日のことを思い出しながら書きます。6日夜、よしむらたまみ地域の「新春のつどい」があり、参加しました。100人を超える人たちで、よく集まってくれたなあとうれしく思いました。

 よしむら市議に続いて私もごあいさつ。私の後に堀内照文参院兵庫選挙区予定候補がごあいさつ。日本共産党第25回大会に参加しての話、情勢の変化−特に反共の壁崩れていること、国会の動き、国民が政治を動かす時代などについて実感を込めたお話でした。この人を兵庫の代表として国会議員にしたいとまた思いました。

 続いての実行委員長あいさつは、なんと踊りです。「祝賀の舞」。踊りのお師匠さんであるNさんの踊りのあでやかなこと。拍手喝采でした。三味線、踊り、漫才(スタンドウランのお二人)そして歌(PEACEFIVE、よしむら市議、私も一緒にマイクを握りました)。第2部はとてもにぎやかに、華やかに進みとても楽しい会でした。



 7日は、第25回大会をうけての日本共産党兵庫県党会議でした。今後1年間の活動方針を決める会議です。討論では、ベテランの人も若い人も自分たちの活動の経験を個性豊かに語ります。その中身は笑いあり、涙あり。聞いている方も涙を流し、大笑いをし、拍手をしながらです。一日をかけた会議はちょっと疲れたけれど、とても充実したものになりました。さあ、みんなに負けずに私もがんばらなくちゃ!!
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2010年02月04日

映画「おとうと」を見に行きました


今年の「恵方巻き」、好評でした

 2月2日午後、たまたま夫との休みが合ったので、思い立って映画「おとうと」(山田洋次監督 吉永小百合、笑福亭鶴瓶主演)を見に行ってきました。私は、幸田文著「おとうと」を読んでいますし、市川昆監督の映画(岸恵子、川口浩主演)は見ていないのですが、斉藤由貴、木村拓哉主演のテレビドラマを見ていたので、映画がどんななのかとても楽しみでした。よい映画でした。笑い、泣き、泣き笑いそして感動。見終わったあともずっと胸が痛いような、でも心が温かい余韻が残っています。みなさんもチャンスがあったらぜひご覧下さい。

幸田文さんの小説「おとうと」を読んだときに、私にとっては大きな発見をしました。それは、家族の情や人間の感情というものが、単純なものではないということです。「そんなことしなければいいのに。こうすればいいのに」と思いながら、違ったことを言ってしまったり、やってしまったりする。人間関係の中で正しいことを言っているだけでは相手の本当の気持ちは解らないし、また自分の本音も本当には解らないのだとしみじみ思ったのです。自分に対しても結構心をごまかしていることがあるということも認めることができました。こんなことあたりまえだといわれればそれまでですが、この本を読んであらためて、人の思いや気持ちの弱さ、優しさ、揺れる心をわかる人間になりたいと思ったことでした。

 この映画を見てもう一度「おとうと」を読んでみようかと思っています。それと、映画の中に出てきた民間のホスピスのモデルになった、東京山谷にある「きぼうのいえ」の本、「大いなる看取り 山谷のホスピスで生きる人びと」(中村智志著 新潮文庫)と「山谷でホスピスやってます『きぼうのいえ』涙と笑いの8年間」(山本雅基著 じっぴコンパクト新書)を読みたいと思ってます。昨夜仕事の帰りに本屋に寄って探しましたがありませんでした。もっと大きな本屋さんに行って探してみます。



 さて、今年も巻きました。2月3日の節分の「恵方巻き」です。2日の夜に、太巻き8本、納豆巻き8本。夜中12時過ぎたら、「もう3日だからかじってもいいよね」と夫と娘が、西南西の方向を向いて丸かぶりしていました。

 節分の日の「恵方巻き」、私が関西に来て間もなく19年になります。初めてこの「儀式」を知ったときびっくりしました。生まれ育った関東にはなかった習慣だったので。でもそのうち関東にも波及するのではないかと思っていました。2、3年ですっかり東京にも定着した感じです。テレビでも「太巻き」特集をやるくらいですから。私は、「春を待つ気持ち」ということで、この「儀式」を家族ともども楽しんでいます。


 3日の朝、娘がお弁当に持って行き、友達と一緒に食べたそうです。私のお弁当も太巻きと納豆巻きでした。昨年も「恵方巻き」のことを書いたと思いますが、本当に1年、早いですネ!
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2010年01月31日

新春のつどいで、みんな元気

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立花東後援会で

 1月31日、今年も1か月が過ぎてしまいました。いつもいつも時間が過ぎるのが早いと言っている私ですが、本当に早いと思いませんか?!子どものときは一日が長くて(というより、意識したことはない)、朝、昼、晩とちゃんとわかっていたように思います。「なぜ大人は時間が過ぎるのが早いと感じるのか」というような本があったと思うので、今度読んでみようかと思っています。 


 さて、今日は、2つの「新春のつどい」があり、両方でごあいさつをさせていただきました。1つ目は、立花東後援会、2つ目は大庄地域(辻市議)後援会です。どちらも熱気あふれ、元気な「集い」でした。

 さて、私は最近いろいろな「集い」でご挨拶するときに先日の赤嶺政賢衆議院議員の国会質問を紹介しながら「建設的野党」としての共産党の役割をお話することが多いです。
 赤嶺さんは、沖縄に生まれ、育ち、米軍基地があるが故の沖縄県民の苦しみを知っている人です。自分の人生を重ね合わせながらの切々とした質問に、胸を打たれました。
 赤嶺さんが小学校に入った年、6歳の女の子が基地の中で暴行されごみ置き場に捨てられ殺された「由美子ちゃん事件」のこと、6年生の時には、宮森小学校に米軍の戦闘機が突っ込み、子どもを含む17人が亡くなりたくさんの人が怪我をしたこと、戦闘機を操縦していた兵士は脱出し、無事だったこと、高校生になる前には中学生の男の子が米軍兵士に車でひき殺され、その犯人は無罪になり、アメリカ本国へ逃げ帰っていたこと、1995年の沖縄での少女暴行事件が起こったとき、沖縄の人たちは「由美子ちゃん事件」と重ねあわせ、沖縄国際大学にヘリコプターが墜落したときは、宮森小学校事件と重ね合わせ怒りが湧き起こったことなどを紹介し、沖縄の人たちは「基地」があるが故の苦しみとともに生きてきたからこそ、普天間基地は撤去しかないと訴えている、移転先を考えるのではなく、沖縄の人たち、日本の人たちが望んでいるように、撤去を決断するようにと鳩山首相に迫った質問は、誰も否定できないものだと思います。
 「静かな沖縄を返せ」、日本中の基地のある人たちへ「静かな故郷を返せ」、心をひとつにして実現するためにがんばりたいと思います。
 高校生のときに先輩から教わった歌「沖縄を返せ」。今も歌い続けています。
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2010年01月26日

大忙しの23日。24日は「躍進のつどい」を開きました


ハイチ大地震の救援募金行動


鷲野さんのハーモニカ演奏

 23日は、午前中は、神戸で会議。午後1時から尼崎年金者組合の「新春の集い」でごあいさつ。その後、尼崎借地借家人組合の「新春の集い」でごあいさつ。そして3時から行われる「ピースライヴ」へ。

この「ピースライヴ」は、第1回目が昨年7月に行われ、今回が2回目です。年に2回くらい、平和を愛し、音楽を愛するものたちが集まってライヴをしようと始めたものです。義村たまみ市議や民商のWさんが中心になり実行委員会を立ち上げ、私も少しお手伝いしています。今回は6組が舞台に立ちました。私も2曲歌いました。客席も舞台も「平和が好き」な人たちが集まり、とてもいい空間ができたと思っています。次回は9月ごろに行う予定です。決まったらまたお知らせします。



 24日は、午前11時から、阪神尼崎駅前で地区委員長を先頭に「ハイチ大地震・救援募金」のお願い行動をしました。松村市議や地区委員長とかわるがわる募金の訴えをしました。もちろん私も訴えました。若い人や高齢者、家族連れが立ち止まって募金をしてくれます。15年前に阪神・淡路大震災を経験した私たち。道が寸断され、電車が動かないときに全国から、世界から救援のために駆けつけてくれた人たち、届けられた救援物資、救援募金にどれだけ励まされたことでしょう。怖さと同時に人のやさしさを知った地震でしたね。だからこそ、「今度はハイチへ」の訴えにこたえてくれる人の心がとてもうれしかったです。



 そのあと2時からは「参議院選挙勝利!党と後援会 躍進のつどい」でした。堀内照文参議院選挙区予定候補のあいさつのあと、名古屋からおいでいただいた鷲野峰勝さんのハーモニカ演奏を楽しみました。

 ハーモニカの音色がやさしく、明るく、また曲によっては哀愁を帯びて、小さな楽器なのにすごいなと思いました。今回はお1人だったので、小さいハーモニカだけでしたが、それでも4センチに満たないおそらく世界で一番小さいハーモニカ、単音ハーモニカを2本使っての演奏など、本当にステキな演奏でした。私も以前聴いたことがありますが、アンサンブルになるとバスの大きなハーモニカも登場します。ハーモニカっていい楽器だなと思います。またチャンスがあれば、聴きたいと思いました。

 ハーモニカ演奏のあとは、前進座の藤川矢乃輔さんのお話です。「躍進のつどい」には、いつも前進座からどなたかが激励に来てくださいます。矢乃輔さんのお話は、「小咄」も交え笑わせてくれました。2月14日の後援会行事の「さんしょう太夫−説教節より」観劇が本当に楽しみになりました。みなさんもぜひご参加ください。
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2010年01月21日

党大会、そして「あの日」を忘れない





 17日は震災15周年でした。午後7時から労働福祉会館小ホールで「あの日を忘れない 1.17 15周年メモリアルコンサート」を行いました。私は実行委員の1人として、司会と「わたしは忘れない(山口泰徳作詞・作曲)」を歌いました。この歌は、18番まであってとても長い曲なのですが、ひとつの家族の「震災の1日」を歌ったもので、とてもいい歌です。この家も子どもが4人。当時の私の家の状況によく似ていて、胸がつまる場面もありますが、本当に「わかるわかる」と思いながら歌えるのです。

 私の歌はともかく、松平晃さんのトランペット、増井一友さんのギター、渡邊悦朗さんのファゴット演奏はとてもすばらしく、震災15周年という辛い日でしたが、心が和み、音楽の力を感じました。



私は、あの日のことでどうしても忘れられない恐怖があります。何もかもが怖かったのですが、「子どもたちの無事」を確認するまでのあの時間です。子どもたちが死んでしまっていたら・・・。この恐怖感は、全員が無事で元気だというのに、思い出すと未だに身体がすくみ、心が痛くなる恐怖感なのです。たぶん一生かわらないでしょう。

「あの日」、亡くなった方のこと、遺族の悲しみを思うといたたまれない思いに駆られます。だからこそ、「いのち」ほど大切なものはないと思っています。そして、みんなの命が大切にされる社会をつくりたいと思うのです。



 ちょっと長いですが、「わたしは忘れない」の歌詞を載せます。

 わたしは忘れない 

1 あの地震の日の朝のこと わたしは忘れないでしょう

  朝の5時に目覚ましのベルがけたたましく鳴って

  眠い目をこすりながら 夫を起こしました

わたしといえばお弁当や朝のしたくやら

家の中をいそがしそうに 歩きまわってました

2 時計の針が46分さしたその時にドドドッという音とともに家がハデに揺れた

  何ごとが起きたのかとただじっとしてると

  グラグラグラッとマンションが横に揺れました

  その時になって初めて 地震だと思いました

3 子どもたちのことが心配になった私は 子どもの部屋に走って見にゆきました

  机は動き ガラスケースの本棚が倒れ

  本は散らばり 硝子は砕け 飛び散ってました

  子どもたちは机の下で おびえていました

4 行儀良く寝ていたのなら大きなケガしてたネ

  幸いなことに夫によく似て 寝相が悪いから本棚が倒れたその時には

  布団を飛び出してた いつもなら寝相が悪いとあきれてたのに

  この日ばかりは 寝相の悪さに感謝しました

5 私といえばうれしさのあまり4人の子どもをしっかりとこの腕の中に

  抱き寄せました その時フト長女が一言「父さん大丈夫?」

  聞かれた私は夫のことなどすっかり忘れてました

  父さんが寝ていたはずの 布団の上には

6 ずっしり重い嫁入り道具のタンスがのってました

 無我夢中に動かしたけれど ピクリともしなかった

  その時になって 子どもたちが手を貸してくれて

 エイヤッとばかりに力合わせてやっと動きました

 これぞ火事場のバカ力だねと にっこり笑いました

7 布団の中に寝ているはずの夫がいなかった

  子どもたちは「父さん消えた」と驚いてました

  その時になってやっと私は思い出しました 父さんは朝早くから仕事に出たことを


  子どもたちには笑われたけど とてもうれしかった

8 安心すると急におなかがグーグー鳴りました ガスコンロのつまみをひねると

  ガスは出なかった 水道の水も出ない 電気も消えたまま

 昨日買っておいたパンを1人一枚「5枚だからちょうどだね」とほおばりました

9 時計の針が午前10時をさしたその時に 仕事に出てた父さんが帰ってきました

  一番下の子どもがかけよってゆきました 父さんの足にしがみついて

  泣き出しました 「父さんが無事でよかった」と喜びあいました

10 父さんは外の様子を話してくれました「駅前の大きなマンションが崩れ 古い家や 

  アパートが壊れ火事も起きてること 多くの人が学校などに避難してること」を

  話してくれた父さんは また まちへ飛び出して行った

11 暫らくして落ち着いた時に外に出てみました 隣の人や向かいの人が声かけあって


  お互いが無事だったこと喜びあいました 地震でみんな大変なのに

  自分のことのように 人のことを気遣う姿に 涙がこぼれました

12 お昼になって子どもたちと 朝につくってた3人分のお弁当を 5人で食べました

  冷たくなったお弁当だけど とても助かりました

 そのとき急にテレビがついて喋りだしました

 まるで戦争映画のようなリアルな映像でした

13 夜の10時になって父さんが やっと帰ってきました

 お父さんは「みんながきっとおなかすかしてるだろうと スーパーやコンビニにも

 たくさんさがしたけれども どこの店も食べ物はなく ショーケースだけだった ごめんな」とあやまりながら話してくれました 

14 子どもたちはガッカリして ふてくされてました

  「今この時にも ガレキの下で苦しんでる人のこと 家が焼かれ住むところも失ってしまって 寒い空の下で震えてる人のこと」などを 話してやると 涙こらえてわかってくれました

15 「みんな今日からしばらくの間は 部屋はこのままにして リビングで親子6人

  寝ることにしよう 次の地震にそなえて服のまま寝ようネ いつなんどき何が

  おきても すぐに動けるように」 家族みんな一致団結 話し合いました

16 子どもたちははしゃぎまわって転げまわっていました なんだかとてもキャンプのようだと 喜んでました 時計の針が午前0時を少し回りました いつの間にか子どもたちはスヤスヤ寝てました 親子6人 川の字2本 不思議な夜でした

17 1995年1月17日 私の短い人生の中で 一番怖く 恐ろしかった一日だったけど

  人の心のやさしさを知った日でもありました 家族の愛と絆が深まった一日でした


18 1995年1月17日 私にとっては「大地震」と「愛の記念日」ルルルールル ルルル 



さて、この1月13日から今日16日まで、日本共産党第25回党大会が開かれました。国民が政治を動かすという新しい情勢のもと、日本共産党の役割と活動方針が決められました。インターネットで動画を見られますので、ぜひご覧になってほしいと思います。

また、新しい中央委員を決めました。県会議員の練木恵子さんが中央委員に、堀内照文参議院兵庫選挙区予定候補が准中央委員に選ばれました。女性の力、若い力の発揮で新しい政治を切り開いていく、私も一緒にがんばります。
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2010年01月11日

成人式おめでとう!


 今日は午前9時30分から、成人式会場である尼崎記念公園総合体育館前で、祝成人の宣伝をしました。7人の市会議員と一緒です。振袖やチョゴリに身を包んだ女性、おしゃれなスーツの男性。みんな晴れやかな顔をしていました。今日のこの笑顔が消えないように希望ある日本を一緒につくってゆきたいと思います。

 今年の新成人(1989年生まれ)は127万人だそうです。日本共産党は、本日付赤旗日刊紙主張で「21世紀の新しい時代を生きるみなさんの前途を、心から応援します」「昨年は、若者、国民の切実な願いが、社会と政治を動かす力を発揮しはじめる歴史的な年になりました」「貧困と格差が広がるなか、若者、国民は、総選挙で大企業いいなりの自公政権にピリオドをうつ歴史的な審判をくだしました。今後の日本の政治に紆余曲折はあるでしょうが、若者、国民の切実な願いと運動の発展が、新しい政治をうみだす大きな流れをつくりだすでしょう」と呼びかけ、「7月には参議院選挙がおこなわれます。『人間らしく働きたい』『お金の心配なく学びたい』『基地のない平和な日本に』などの切実な願いにこたえる新しい政治への扉をひらく大事な選択です。日本共産党は、若いみなさんの願いや悩みに心をよせ、力をあわせて、若者が大切にされる、『国民が主人公』の日本へ全力をつくします」と決意を述べています。

 夏の参議院選挙ではじめて選挙権を行使する新成人も多いことでしょう。自分たちの未来を切り開くために、どの政党、どの人を選んだらいいのかしっかりと見極めて投票してくださることを願います。
posted by えつこ at 17:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記