17日は震災15周年でした。午後7時から労働福祉会館小ホールで「あの日を忘れない 1.17 15周年メモリアルコンサート」を行いました。私は実行委員の1人として、司会と「わたしは忘れない(山口泰徳作詞・作曲)」を歌いました。この歌は、18番まであってとても長い曲なのですが、ひとつの家族の「震災の1日」を歌ったもので、とてもいい歌です。この家も子どもが4人。当時の私の家の状況によく似ていて、胸がつまる場面もありますが、本当に「わかるわかる」と思いながら歌えるのです。
私の歌はともかく、松平晃さんのトランペット、増井一友さんのギター、渡邊悦朗さんのファゴット演奏はとてもすばらしく、震災15周年という辛い日でしたが、心が和み、音楽の力を感じました。
私は、あの日のことでどうしても忘れられない恐怖があります。何もかもが怖かったのですが、「子どもたちの無事」を確認するまでのあの時間です。子どもたちが死んでしまっていたら・・・。この恐怖感は、全員が無事で元気だというのに、思い出すと未だに身体がすくみ、心が痛くなる恐怖感なのです。たぶん一生かわらないでしょう。
「あの日」、亡くなった方のこと、遺族の悲しみを思うといたたまれない思いに駆られます。だからこそ、「いのち」ほど大切なものはないと思っています。そして、みんなの命が大切にされる社会をつくりたいと思うのです。
ちょっと長いですが、「わたしは忘れない」の歌詞を載せます。
わたしは忘れない
1 あの地震の日の朝のこと わたしは忘れないでしょう
朝の5時に目覚ましのベルがけたたましく鳴って
眠い目をこすりながら 夫を起こしました
わたしといえばお弁当や朝のしたくやら
家の中をいそがしそうに 歩きまわってました
2 時計の針が46分さしたその時にドドドッという音とともに家がハデに揺れた
何ごとが起きたのかとただじっとしてると
グラグラグラッとマンションが横に揺れました
その時になって初めて 地震だと思いました
3 子どもたちのことが心配になった私は 子どもの部屋に走って見にゆきました
机は動き ガラスケースの本棚が倒れ
本は散らばり 硝子は砕け 飛び散ってました
子どもたちは机の下で おびえていました
4 行儀良く寝ていたのなら大きなケガしてたネ
幸いなことに夫によく似て 寝相が悪いから本棚が倒れたその時には
布団を飛び出してた いつもなら寝相が悪いとあきれてたのに
この日ばかりは 寝相の悪さに感謝しました
5 私といえばうれしさのあまり4人の子どもをしっかりとこの腕の中に
抱き寄せました その時フト長女が一言「父さん大丈夫?」
聞かれた私は夫のことなどすっかり忘れてました
父さんが寝ていたはずの 布団の上には
6 ずっしり重い嫁入り道具のタンスがのってました
無我夢中に動かしたけれど ピクリともしなかった
その時になって 子どもたちが手を貸してくれて
エイヤッとばかりに力合わせてやっと動きました
これぞ火事場のバカ力だねと にっこり笑いました
7 布団の中に寝ているはずの夫がいなかった
子どもたちは「父さん消えた」と驚いてました
その時になってやっと私は思い出しました 父さんは朝早くから仕事に出たことを
子どもたちには笑われたけど とてもうれしかった
8 安心すると急におなかがグーグー鳴りました ガスコンロのつまみをひねると
ガスは出なかった 水道の水も出ない 電気も消えたまま
昨日買っておいたパンを1人一枚「5枚だからちょうどだね」とほおばりました
9 時計の針が午前10時をさしたその時に 仕事に出てた父さんが帰ってきました
一番下の子どもがかけよってゆきました 父さんの足にしがみついて
泣き出しました 「父さんが無事でよかった」と喜びあいました
10 父さんは外の様子を話してくれました「駅前の大きなマンションが崩れ 古い家や
アパートが壊れ火事も起きてること 多くの人が学校などに避難してること」を
話してくれた父さんは また まちへ飛び出して行った
11 暫らくして落ち着いた時に外に出てみました 隣の人や向かいの人が声かけあって
お互いが無事だったこと喜びあいました 地震でみんな大変なのに
自分のことのように 人のことを気遣う姿に 涙がこぼれました
12 お昼になって子どもたちと 朝につくってた3人分のお弁当を 5人で食べました
冷たくなったお弁当だけど とても助かりました
そのとき急にテレビがついて喋りだしました
まるで戦争映画のようなリアルな映像でした
13 夜の10時になって父さんが やっと帰ってきました
お父さんは「みんながきっとおなかすかしてるだろうと スーパーやコンビニにも
たくさんさがしたけれども どこの店も食べ物はなく ショーケースだけだった ごめんな」とあやまりながら話してくれました
14 子どもたちはガッカリして ふてくされてました
「今この時にも ガレキの下で苦しんでる人のこと 家が焼かれ住むところも失ってしまって 寒い空の下で震えてる人のこと」などを 話してやると 涙こらえてわかってくれました
15 「みんな今日からしばらくの間は 部屋はこのままにして リビングで親子6人
寝ることにしよう 次の地震にそなえて服のまま寝ようネ いつなんどき何が
おきても すぐに動けるように」 家族みんな一致団結 話し合いました
16 子どもたちははしゃぎまわって転げまわっていました なんだかとてもキャンプのようだと 喜んでました 時計の針が午前0時を少し回りました いつの間にか子どもたちはスヤスヤ寝てました 親子6人 川の字2本 不思議な夜でした
17 1995年1月17日 私の短い人生の中で 一番怖く 恐ろしかった一日だったけど
人の心のやさしさを知った日でもありました 家族の愛と絆が深まった一日でした
18 1995年1月17日 私にとっては「大地震」と「愛の記念日」ルルルールル ルルル
さて、この1月13日から今日16日まで、日本共産党第25回党大会が開かれました。国民が政治を動かすという新しい情勢のもと、日本共産党の役割と活動方針が決められました。
インターネットで動画を見られますので、ぜひご覧になってほしいと思います。
また、新しい中央委員を決めました。県会議員の練木恵子さんが中央委員に、堀内照文参議院兵庫選挙区予定候補が准中央委員に選ばれました。女性の力、若い力の発揮で新しい政治を切り開いていく、私も一緒にがんばります。